愛という名の支配

感覚は理性を駆逐する。憎悪は執念へと昇華する。

最醜兵器オヤ児VSタダマン女神

 夕方、自室にて無為に時間を過ごしていた。今日一日は何の変哲もない平凡で平和な日ではあったけれども、今日という日は、この瞬間は、もう二度とやってこないんだ…そんな子供じみた感傷に浸っていた。

 すると―。

「しゃぶれや!」

 隣家から舞台役者の決め台詞あるいは獣の咆哮のような周囲の雑音を一瞬で吹き飛ばす、けたたましい罵声が私の部屋まで轟き―。

 繊細な時間は、突然の言葉の暴力により為す術もなく世界の最果てまで飛んでいった。

 「また始まったよ…」

 思わずそう呟く。ここにその近隣住民について、その詳細と私の私見を詳らかに書き連ねることは容易いが、あまりにバカバカしいのでそれは差し控える。

 もう10年以上続いていることだが、当初私が子供のとき、ことに受験生だった時分はあまりの迷惑行為に毎日彼らの死を祈願していたが、大人に成った今ではその有り余るリビドーはある種尊敬の的である。

 

 

 『人間何かに一生懸命になること、必死に生きることは素晴らしいことだ』

 そういう生き方、人生に対する姿勢は普遍的に他者に感動や勇気を与えるものだ。

 たまに野球とかダンスとか吹奏楽とか勉強とか何かしらに必死に打ち込んでる中高生の姿をニュースで目にすることがある。

 そういった学生たちを指導する人間は必ずと言っていいほど、執拗に罵声を浴びせる。子供たちを育てるために、人生の正念場で勝たせてやるために。

 

 隣人もきっとそうなんだ―。私はそうやって現実を逃避し、数年間正しい認識を避けてきた。神経疾患の一歩手前である。

 しかし今では笑える余裕がある。

 この滑稽な様を想像してみるがいい。いい歳した大の大人が射精のために激怒!女性を意のままに操りたい一心で激昂!こともあろうに親子ほども歳の離れた少女に!

 セックスしたいために、よく女性に土下座して頼み込む人がいるが、それ以上の背水の陣を感じた。

 

「そんなにヤリたきゃヤラしてやるよ!」

 ブラインド越しに見えた。脱ぎたてのパンティを、まるでダチョウ倶楽部の上島竜兵さんみたいに叩きつける少女。違うのは顔の悲愴感だけ。

 

 皆さんは何か自分が夢中になれるもの、なりふり構わず取り組めるものを持っていますか?